ほんとの出会い系ブログ

今まで出会った本をご紹介します。人気の作品や良書と呼ばれる本が多いと思いますので、出会いのきっかけになれば幸いです。

山椒大夫・高瀬舟

新潮文庫森鷗外短篇集第二弾。歴史小説が充実しています。

「興津弥五右衛門の遺書」は切腹の理由を子孫に残すという内容で、森鷗外歴史小説の始まりとされる作品です。「護持院原の敵討」は敵討(かたきうち)という制度や、情報や交通手段が限られた時代に敵を探す旅の過酷さが描かれます。危険な旅に女は連れていけないと言われた娘りよの無念の涙の場面には思いがけずぐっときました。

最後の一句」は父の冤罪を信じる娘の強い意志と役人との対比が印象的な作品、生き別れた家族の運命を描く「山椒大夫」や弟を殺したという罪人との会話から安楽死について考えさせられる「高瀬舟」は後期の代表作として有名です。いずれの作品も家族の絆が感じられますが、特に後期の作品は歴史というより昔話のような柔らかい印象を持ちました。

そのほか、軍医としての森鷗外の知識が垣間見える「カズイスチカ」、「舞姫」の後日談ともいえる「普請中」、「鶏」とともに小倉三部作の一つに数えられる「二人の友」(あと一つは「独身」)なども収録されています。

愛の夢とか

吉岡里帆主演の映画「アイスクリームフィーバー」の原案でもある「アイスクリーム熱」も収録されている谷崎潤一郎賞受賞の短編集。

なにげない日常の延長線上にちょっと変わった体験をしたり、なんだかうまくいかなかったり、結局何も起きなかったりする短編たち。そしてそれが心地よく、中でも「日曜日はどこへ」が好みでした。

川上未映子さんは小説「すべて真夜中の恋人たち」で知って、迷ったり一歩踏み出してみたりうまくいかなかったりでも最後はなんだか晴ればれしたような前向きな気持ちにさせてくれる文章が好きなのですが、「日曜日はどこへ」も似たような気持になりました。

倫敦塔・幻影の盾

吾輩は猫である」と同時期に発表された夏目漱石の初期の短編集。

イギリス留学の経験をもとに書かれた「カーライル博物館」は紀行文である一方、同じくイギリスを題材にした「倫敦塔」は歴史を遡るような幻想的な作品。「幻影の盾」と「薤露行」はどちらも欧風ファンタジーのような話でありながら擬古体の文章が特徴的で読むのにちょっと苦労しました。同じく特徴的な文章の「一夜」はある夜の会話劇のような短い実験的な作品。「琴のそら音」は落語の怪談のような雰囲気のある話で、「趣味の遺伝」は日露戦争へ出征した兵士を題材にした作品でありながら展開がミステリーの日常の謎のようでもあり、この一冊で夏目漱石の色々なジャンルを味わえます。

また、幻想的な部分はあの作品へ引き継がれ、擬古体はあの作品へ...と、その後に発表される作品との関連を想像するのもおもしろいです。個人的には「琴のそら音」が好みでした。

羊と鋼の森

第13回本屋大賞。高校生の時に偶然見たピアノ調律師の仕事をきっかけに、自らもピアノ調律師となって成長していく青年の物語。

専門的な職業の成長物語というと主人公の前には気難しい上司や思いがけない大きなトラブルが立ちはだかり...のようなのを想像していたのですが、むしろ淡々とした日常のお客さんとのやり取りの中に課題を見つけて自問自答し、自然体でひたむきに努力を重ねる主人公の姿が印象的でした。

舞台が北海道であることや比喩に表れる山や森の描写なども相まって、温かく静謐な気持ちで読める物語です。

阿部一族・舞姫

ドイツ留学の経験を踏まえて書かれた初期の代表作である「舞姫」と、同じくドイツを舞台とした「うたかたの記」は、ドイツ三部作(あと一つは「文づかい」)に数えられる名作。どちらも悲恋物語で好みなのですが、雅文体で書かれているため読むのに苦労しました。

その後、森鷗外は言文一致の小説を書くようになるため、「鶏」などは小倉に住んでいた時代の日常の出来事を綴っているということもあって、読みやすく親しみやすい内容です。

一方で森鷗外歴史小説も多く残しており、「阿部一族」や「堺事件」は切腹やそれに関わる人々の描写が興味深いです。他にも中国の伝承をもとにした「寒山拾得」や哲学的な内容の「かのように」など、この短篇集一冊で様々なジャンルに触れることができます。

吾輩は猫である

もっとも有名な書き出しかもしれない「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」でお馴染みの夏目漱石の処女小説。飼い主である中学教師の日常や、そこへ訪れる友人たちのエピソードが猫の視点で語られます。100年以上前の作品にもかかわらずこの自らを吾輩と称する猫の上から目線がおもしろいのです。

また、明治になって社会や人の意識が急激に変わっていった当時の世の中を猫の視点で語ることによって、一歩引いた冷静な風刺としても興味深かったです。

そんな、時に人間を哀れに思うこともある自信家の猫ですが、一方で自分のしっぽを追いかけてくるくる回ったりカマキリと格闘する場面があったりと、傍から見るとやはりただの猫で微笑ましく愛さずにはいられません。

炎路を行く者: 守り人作品集

精霊の守り人」から始まる「守り人シリーズ」の12巻目で、2つの作品が収録されています。1つ目はタルシュ帝国の密偵ヒュウゴが主人公の「炎路の旅人」で、2つ目はバルサが主人公の「十五の我には」です。2つの作品は互いに直接的な関連はありませんが、どちらも「天と地の守り人」の頃のバルサとヒュウゴの回想として描かれます。

守り人シリーズでは、本のタイトルに「旅人」が付くとバルサ以外が主人公の話になりますが、その意味で1つ目の作品「炎路の旅人」もまた、バルサは登場せず、ヒュウゴを中心に話が進みます。

ヒュウゴは南の大陸のヨゴ皇国で、ヨゴ帝の近衛兵である「帝の盾」の家系に生まれました。ヒュウゴが十代の頃、タルシュ帝国の侵攻により住む場所や家族を失ってしまいます。ひとり逃げ延びたヒュウゴは、リュアンという不思議な少女に助けられ、平民として酒場で慣れない下働きをして生きていくことになります。ヨゴ皇国がタルシュ帝国に征服され屈辱的な「枝国」になったにもかかわらず、平民の生活は今までとあまり変わりないことに、違和感とくすぶった怒りを持ち続けるなか、ある男と出会ったことでヒュウゴの心は少しずつ変化することになります。

2つ目の物語「十五の我には」はバルサが十代の頃の話です。ジグロと共に隊商の護衛をしていたバルサは、盗賊に襲われて怪我を負ってしまい、しばらくの間ある街の酒場で働くことになります。この物語は「炎路の旅人」に比べて短い話ですが、若くて未熟なバルサや、そんなバルサを厳しく、優しく守るジグロがとても印象的な話です。

守り人シリーズ本編ではバルサとヒュウゴの接点はそれほど多くはありませんが、二人の生い立ちには良い身分の家系に生まれながら突然家族や家を失い、厳しい環境で生き抜いてきたという共通点があります。そのような十代を過ごした二人が将来チャグムと出会い、チャグムを通じて二人が出会うかと思うと、守り人シリーズという壮大な物語の中にある不思議な縁のようなものが感じられる作品です。

honto.hatenablog.jp